好きといえば好きなんだが

好きだといってくれる子がいる。キライじゃない。どっちかといえば好きだ。
けど、付き合うとかならないのは、自分の年齢。30歳半ばになると、結構リアルじゃん?

で、他の子と積極的に付き合おうと探すのも、その子に失礼かなぁ、と思ったり、ラジバンダリ。

男はどういう女と恋愛したいんだろうね。恋愛のメリットは、人それぞれだと思うけど、相手がいるおかげで生活や仕事にハリがでてくる事。つまり、そう思える相手ってことかしらん?大切に思う気持ち、守りたいと思う気持ち、そういうのが大切。
逆にいえば、一人で平気、て思われる女性は可哀想だと思う。おそらく、一人で平気って人はあんまりいないと思う。けど、そう見られちゃう人っているよなぁ〜

好きな人がいる生活には、ちょっと憧れる。けど、自分を好いてくれてる人の気持ちを足蹴にできん。自分を好きでいてくれる人がいるのは本当に嬉しいこと。それでも、心の奥からその人のためなら何でもできる、という気持ちが沸いてこない以上、どうにもこうにも。贅沢なのかもしれんけど。

既婚の友達には、「そんなこといってると、いつまでも結婚できへんで」と言われる。そんなに難しいことを望んでるつもりないんだけどなぁ。『相手のためなら何でもできる』て思えるような相手が見つからなくても妥協とかやっぱし必要なのかしらね?

長澤つぐみ嬢の引退と、負の感情のファッション化と

長澤つぐみ嬢がいつのまにやらAVをやめていたようで。何作品か見たことあるような気がするのだけど、憶えてない。彼女のブログを見て、ようやく思い出した。こういうのを言うと変な気がするが、光る子だったと思う。まぁ、AVは脱いでヤるだけ、て思ってる人も多いと思うし、自分もそうだったけど最近はそれだけのAVじゃ面白みがなくて。まぁ、年齢のせいかもしれないが。
彼女の引退の気持ちをあらわしてるんじゃなかろうか、と思う文章が下記。ちょっと思うところがあって引用。

私は、最近自分の中から負の要素がいなくなっていて、明るい役ができるようになったのと同時に寂しさを覚えています。
ないの。
負な感情があんまりないの。
だからね、昔はちょっと情緒不安定っぼく見えるブログを書けてて(別に不安定でもなかったけど)、そのかんじが私は好きだったんだけど、今は書けないの。
内にないものは書けないの。
まぁ自分でその要素を排除したんだけど、なんだかちょっと物足りない。
そして一見とんでるかんじ。
普通コンプレックスの私からしたらどこか憧れだった。
一見とんでる風。
だからAVをやったのかもしれない。
この気持ちって、ある程度の年齢になると辿り着くような気がする。若い頃、もてあましてた感情が、ある年齢になるとどうでもよくなってくる。で、多くが負の感情であるように思う。若い頃のモヤモヤ感をいつまでも抱えて大人になったらやってられないもんな。仕事にならん。

最近は、小学生までもがブログとかをやるもんで、最近の若い子ってのがいったい何を考えているのか、ってのを目にすることが多いのだけど…なんか、最近の若い子って早熟なのか悩みが深いというか、負の感情が大きいように思う。リストカットなんて昔からあったんだろうけど、隠れてやるものだったはず。今はご丁寧に写真までアップしてる子がいるんだから驚き。両親何も言わないのかなぁ〜と他人事ながら心配になる。
エヴァンゲリオンにしろ、visual系サウンドにせよ、退廃的で自己否定を繰り返すような情報に囲まれていて…まぁ、それは若いうちに通る道としては仕方ないのかもしれないけど、時々怖いと思う。自分たちも通ってきた道だけど、怖い。
それは、ネット上だったらその負の感情をオープンにできることに起因する怖さなんじゃないかな?と分析してみた。昔もあった感情だけど、内に向かう性質の暗さをもっていた。その暗さに嫌気が差すことも多々あったけど、大人になればそれらの感情とはサヨナラできた。
ネットでオープンにすれば、否定する人も現れる。自己を他人から否定されればムキになる。肯定する人も現れる。肯定する人とさらに同調する。なんか、怖いワ。

独り言

VIPPERって、自らを大物と言ってるようで気持ち悪かったのだけど、「Very Idiot Person」(非常にバカな人間)の略であることを知って、ホッとした。にちゃんねるに居座ってるぐらいで自称大物ってのも気恥ずかしいもんだし。
そういや、自称VIPPERって周囲に何人かいるけど、よく臆面もなくそんなことが言えるもんだなぁ、と白い目で見てた。挨拶も出来ず、社会から離れた場所で他人を蔑んでる人々ってイメージしかないんだよなぁ。