#住みたい街 住みたかった街

10歳の少年、北海道のド田舎から東京にやってきた

生まれは札幌、それから小学校低学年まで北海道の北見という町に住んでいた。ハッカと玉ねぎの町。とにかく何もなくて空が大きな町。北海道のくせに夏は暑く、全国紙のニュースになるぐらい。そんな田舎町で10歳まで走り回っていた。

 

父の転勤で北海道の田舎から、東京の国立市

インターネットなんてない時代、タウンページをみて「国立博物館とか国立競技場とかいろいろあるね!」なんてはしゃいでた恥ずかしい少年だった。友達には「03じゃないの?」と、からかわれたのも懐かしい思い出。

 

10歳の少年に、国立市は大都会だった。駅から続く大きくまっすぐな道を包み込むかのような樹々、どこまでも続く住宅街。歩いて行けるお店の数々。本屋が3件、文房具屋も4~5件。北見には歩いて行ける範囲のお店なんて数えるほどしかなかったのに…東京はすごい!と心底思った。

次第に大きくなった少年は、国立市はさほど大きな町じゃないことを知った。行ける町はせいぜい新宿まで。それを超えると乗り換えも多くなり、移動時間も1時間じゃ済まなくなる。大学も就職も乗り換えのない範囲からしか選ばなかった。そう思うと、国立市を含め、多摩地域にいつまでもいたのは、あまりいい選択肢ではなかったのかもしれない。

 

結婚して家を買うまでの話

国立市の後は、隣の立川市に引っ越し、(大学を中退した後は1年イタリアにいたりしたけど)、家を出て住んだのは中野。中央線からも利用できる駅で、昔からなじみの町。終電を逃しても新宿からのんびり1時間も歩けばたどり着けること。お金はないが楽しく生きてる人が多い…そんな中野は、僕にとってとても居心地の良い町だった。駅から7分。坂が厄介だったけど、コンビニや飲食店、スーパーも多く生活には便利な町だった。家の隣は小学校と古くからの神社。小学校がそばにあるのは治安もいいし、昔から神社があるところは長い間、人がそのエリアに無事に住んでいたことが見て取れる。

 

30歳を過ぎて結婚した。

新婚生活は妻が持っていたマンションの1部屋。多摩川と富士山が見えるマンション。有名な神社や古くから古墳が多くあり地盤はしっかりしてるエリア。学校も多く、また大田区の某高級住宅街の隣ということもあり治安は申し分ないエリア。駅から徒歩15分というところで新婚生活が始まった。駅から15分、川沿いを歩く。何も無い。あるのは巨人軍の二軍グラウンドと、長嶋茂雄が愛したらしい食堂ぐらい。北海道ほどではないが、冬はよく星がみえた。自転車で、坂と闘いながら近隣のオシャレなエリア(自由が丘や武蔵小杉、二子玉川)を満喫した。

 

子供が生まれた翌年、妻が二人目を妊娠し、家が手狭になるだろうとのことで、身重な妻と一緒に新居を探した。新宿区落合、世田谷区祖師谷、大田区馬込…いろんな土地を見て歩いた。そして、買ったのは中野の物件。

「なんだかんだと中野だねー」

と、妻と笑った(妻と出会ったのも中野在住の頃)

 

今の家は、話題のハザードマップでは過去に水害があったエリアになっている。ただ、家は当時の水害の水の高さより床を上げていること、上流と下流数キロのところに地下の貯水池があることから、多分、大丈夫だと思っている。

 

家族で過ごすに適した町、住みたかった町

今、中野に住んでいて、正直、子育てにむいてる町かどうかは悩ましい。公園は多いが花火ができるような場所は無い。道路は狭く行きかう車も多い。単身者向けの物件が多く中野を離れる同級生も少なくない。

それでも、都心部が近く子供のために早く帰ってこれることは得難い。通勤に何時間もかければ、その分、子供のそばにいれる時間が減ってしまう。多少、家賃が高くても僕たち夫婦が大事にしたのは都心部からの利便性だった。そういう意味では、また戻ってきたこの町でよかったと心から言える。この町で、いろんな人に会い、コミュニティに溶け込んでいく。近所の子供から挨拶され、

「あれ、あの子も大きくなってきたなぁ」

なんて思えることが、本当に幸せだと思う。

 

ただ、残念なことに、僕は山手エリアで過ごした事がない。

もっといえば中央3区で過ごしたことがない。

一人暮らしの時ぐらいそういうエリアで生活してみても良かったかな、とは思う(それは妻も同じような事を言っていた)。若い時に、渋谷・青山・麻布あたりを自転車で行きかうようなエリアに住んでいたらいい経験になったかもしれないな、なんて思う時もあるけどね。

 

 

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